NGKエレクトロデバイス株式会社

日本ガイシグループ

2015年1月5日 日鉄住金エレクトロデバイス株式会社からNGKエレクトロデバイス株式会社へ社名変更しました

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社員紹介

社員紹介

光・高周波パッケージ部 担当課長 小阪田 明義

光・高周波パッケージ部 技術室 室長 小阪田 明義

技術者は1日にしてならず。積み重ねた苦労と経験こそが、壁を乗り越える力に

  • 1990年入社 技術部 プロセス開発に配属
  • 1995年商品開発センターに配属
  • 2000年光・高周波パッケージ部に配属、現在に至る

入社1年目 先輩社員の指示のもと、ひたすら仕事に取り組む日々。辛かったのは「毎朝の早起き」

入社当時は、3年目の先輩がとても立派に見えて、自分にできるのかとても自信がありませんでしたね。その当時一番辛かったのは、毎朝の早起き(笑)。今でこそ笑い話ですが、朝の出勤が辛くて仕事が続くだろうかと本気で心配していました。仕事の方は、先輩社員の指示のもとで、セラミックを焼く工程を学んだり、試験に基づくデータ分析と報告作業を行ったりの繰り返しでした。仕事の目的や目標がわからないまま、とにかく懸命に取り組んでいた時代でしたね。その後、入社3年目で結婚し、家族を持ったことで次第に仕事への意識が変化していったと思います。

海外の顧客からお礼にいただいたボールペン

海外の顧客からお礼にいただいたボールペン。ある顧客からは、主催するバイクレースに招待されるなど、仕事以上のお付き合いをすることも。

入社5年目 辞書を片手に、必死の海外向けプレゼン資料作成。仕事のイロハを、しっかり叩き込まれた時代

お客さまの要望を明確にし、商品を開発する。その一通りをようやく自分でできるようになってきた頃でした。パソコン用半導体パッケージの開発を進めていた時、アメリカの企業へのプレゼンテーションが決まりました。そこですべて英語で表記された資料を作成することになったんですが、これが本当に大変で。2週間くらいかかりましたが、上司のチェックが厳しく、何度も何度も資料を書き直しました。相手は複数の名立たる大企業ですから、クオリティーの高い内容にしなければいけない。出発前日の夜中にようやく完成して、大量のプレゼン資料をコピーし、自分でそれらを持って、飛行機に乗りました。初めての海外のうえ、初めての海外向けプレゼン。飛行機の中でも辞書を片手に準備をしましたね。今思えばその時に、書類の書き方や話し方を含めて、仕事の進め方の基本を叩き込まれました。上司に「勉強と思ってしっかりやれ」と言われましたが、これが後々、仕事上での壁や悩みを乗り越える力になったと思います。

海外の顧客向けに初めてつくったプレゼン資料の一部

入社5年目、海外の顧客向けに初めてつくったプレゼン資料の一部。英語で作成しなくてはならず、辞書を片手に必死に取り組んだそう。今でも捨てられない思い出の品だ。

入社11年目 初めて経験する、ゼロからの生産ラインづくり。自ら手がけた開発商品が量産体制に

私が開発したパッケージを、社をあげて量産体制することになりました。生産ラインを立ち上げるのは私自身初めて。10万や20万という大規模な単位で納期や品質をクリアするのは、実はとても大変なことなんです。工場レイアウト、装置仕様、人員体制などすべてをゼロから取り組みました。スタートしてから約2年ほどで、ようやく生産ラインもスムーズになったと思います。なかでも印象深いのが、当社でも初めて立ち上げたとある工程の開発。簡単に言えば削る工程なんですが、非常に特殊な作業で、外注メーカーさんと連日夜中まで仕事をしていました。寒い季節、吹きさらしの小屋のような所で作業して、3カ月くらいかかりましたね。
このように苦労も絶えない仕事ですが、自分で手がけた商品が至る所で活用され、人々の生活を支えているかと思うと、開発者冥利につきます。それから海外の顧客と仕事をすることも多かったのですが、言葉を乗り越えて信頼関係が築けてきたことも、自信とやりがいになっています。仕事を始めたばかりの頃は、目的もわからずやっていましたが、経験を積んでいくと次第に見えてくるものです。失敗を恐れず前向きにがんばれば、自分の目的や目標が必ず見つかると思います。

高周波パッケージのサンプル

約3年の歳月をかけて開発にこぎつけた、高周波パッケージのサンプル。小阪田さんと仲間の技術者達の、言わば汗と涙の結晶。